2013年6月27日木曜日

VRコンテンツを作る際に知っておきたい3D酔いの話

Oculus Riftの発売によって、多くのゲーム開発者が手軽にVRコンテンツ的なものを制作できるようになった。しかし、ゲーム産業では、ごく一部のアーケードなどのコンテンツ開発者を除くと人間の感覚器や情報伝達の仕組みなどについて学ぶ機会はほとんどないので、私の知っている範囲でざっと書いていこうと思う。

ヘッドマウントディスプレイ(以下HMD)を使ったコンテンツは、容易に激しい酔いを発生させるため注意する必要がある。多くの開発者は経験的にどうすると酔うか、酔わないかというノウハウを持っているが、多くは断片的な知識なので、可能ならば人間の感覚の仕組みについて一通り勉強しておいた方が良い。

一通りの知識を学ぶ上で、以下の書籍はお勧め出来る。
バーチャルリアリティ学

さて、3D酔いに関して、著名な論文として以下のものがある。

VE酔い研究および関連分野における研究の現状
http://intron.kz.tsukuba.ac.jp/tvrsj/3.2/nakagawa/vesick1.html

これは1997年の論文だが、現在も大きく変わってはいない。

3D酔いと一口に言っても、様々な症状が発生する。
医学的には動揺病というらしいが、軽いところから並べると、まずあくび、眠気、だるさなどが発生する。これらは普段なかなか3D酔いの症状としては自覚しにくいので、あまりメジャーではないかも知れない。
次に、冷や汗が出る、血の気が失せて顔面蒼白になる、唾液の量が多くなり、頭痛が発生し、気持ちが悪くなって吐き気を覚えるといった具合だ。
これらは体調不良の典型的な症状とも言える。

感覚としては乗り物酔いと非常に近いのだが、乗り物酔いが終始揺れが発生する状態で起こるのに対し、3D酔いは実際に自分が動いていないのにも関わらず起こるというところが面白いのだが、両者に共通しているのは刺激を受け続けた事によって発生したストレスにより、自律神経に不調が起こるという点だ。

人間は主に視覚、前庭感覚によって自分の移動状態を認識する。
視覚は言うまでもないが、前庭感覚というのは三半規管による回転加速度の感知と、耳石による直線加速度の感知によって与えられる。なお、加速などによって筋肉や内臓などが刺激される事もあるが、酔いの発生には寄与していないという事なのでここでは省略している。

大画面やHMDで動きの大きい映像を視聴した場合、視界の大部分をその映像が占める事になる。上記のように人間は視覚と前庭感覚によって自分の移動を感知しているわけだが、この時は視覚が移動情報をもたらしているにも関わらず、前庭感覚は刺激されない。
このギャップがストレスをもたらすと、上記のように動揺病の症状をもたらすと言われる。
実際、私自身は非常に大規模なシミュレーターで体験した事だが、直径数mのドームが数十メートルという広大な空間を移動し、自動車の運転感覚を再現する装置の稼働を止め、ドームの中で映像だけを眺めたところ、激しい身体動揺が発生し、映像が動いた瞬間に身体が多く揺れたうえに、数秒後に、未だかつて襲われたことがないほど激しい酔いが発生した。
決して解像度の高い映像ではなかったが、360度に実寸で映し出される映像は十分に移動感覚を与えるものだったと言う事だ。その後、装置を稼働させて通常の自動車の運転を体験したが、この時はまったく酔いを感じず、リアルな自動車運転感覚があった。
普段の乗り物酔いの事を思うとやや直感に反するが、視界の大部分を占める映像が移動する場合、自分の足下が一緒に動いていれば酔わないが、動かないと酔うのだ。
おそらくディズニーランドのスターツアーズも、ライドを止めて映像だけ見ると恐ろしいほど酔うはずだ。

なかなかやっかいだと思うのは、これらの酔いが必ず発生するわけでもなく、人や状態によっても違うという事だ。

人間の感覚というのは、経験と予測によって大きく変わる。
多くの人が体験した事があるかと思うが、止まっているエスカレーターの上を歩こうとすると、逆方向に加速を受けたような奇妙な感覚が発生する。これはもちろん、動いているエスカレーターでは発生しないし、通常の階段でも発生しない。例えば止まっているエスカレーターだとしても、エスカレーター特有の形をしておらず、エスカレーターだと気づかなければ発生しないし、もちろんエスカレーターに関して一切の知識がない人がいたらもちろんこの感覚は発生しない。
この感覚は、エスカレーターに乗った瞬間に加速が発生するし、乗っている間は動かなくても等速直線運動が発生するという経験とのずれによって起こる。

また、酔いの症状は自律神経の不調によって起こると書いたが、もともと体調が悪い場合、例えば睡眠不足やアルコール摂取状態の場合、容易に発生するようになる。
逆に、感覚のずれがあってもそれをストレスと感じなければ酔いは発生しないわけだ。例えば我々は普段エスカレーターに乗っても奇妙な感覚を覚えないのは、何度もエスカレーターに乗る事でその感覚が発生する事を予め予測し、ストレスをキャンセルしているからだと言える。

さて、上記の話を前提として、3D酔いを防ぐにはどうしたら酔いだろうか?
3D酔いは慣れによって起こらなくなるが、これは人によって違う。激しく3D酔いを起こした経験によって、HMDを被った時点で気持ちが悪くなってしまうという事も十分起こりえる。

自己移動感覚が発生しない、つまり一カ所に立って見回すだけのコンテンツなら、HMDの応答性が十分あれば3D酔いは発生しにくい。また、自分の移動に合わせて映像世界も動く場合も同様だ。
しかし、これらを頑なに守ると作れるコンテンツが限られてしまう。

視点が移動する場合でも、等速運動を続けるコンテンツの場合、酔いは発生しにくい。これは乗り物酔いに関しても同様の話だ。

また、回転加速度、直線加速度が発生する場合でもこれが十分に小さければ酔いは発生しにくい。元々人間は閾を越えないと加速を感知しない。物理空間上では、人間の加速度感知の閾は0.02G~0.03Gと言われている。これは極めて低い数値なので、非常にゆっくりした動きになってしまいそうだ。
ただし、注意が必要なのは前庭感覚が刺激されなくても不自然ではない閾がこの数値というわけではない、という事だ。
実際にVRコンテンツを作成してHMDでそれを体験させる場合、視野角やテクスチャ解像度、FPSなど様々な条件によって感覚は変わってくる。
実際には移動速度、加速度、回転速度の条件や回転角加速度などが出来るだけ小さい状態から初めて徐々に慣れさせていくなどの対策が必要かも知れない。

結局のところ、これだという答えを簡単に示す事は現状できない。
ただし、上記のように3D酔いの仕組みを理解し、考えていく事によって自分の作ったコンテンツで3D酔いが起こる頻度を減らすためのヒントにはなるはずだ。

2013年6月25日火曜日

そのUIは見えているか? ゲームにおける色覚ハンデユーザー対応

Facebookでシェアされていた以下のドキュメントが素晴らしい。

川崎市の公文書作成におけるカラーユニバーサルデザイン・ガイドライン。
http://www.city.kawasaki.jp/shisei/category/50-3-4-0-0-0-0-0-0-0.html

文中にもあるが、色盲、色弱などの色覚ハンデを持つ方は意外と多く、日本人男性で5%、女性で0.02%に及ぶ。この数字には地域差があり、世界的には男性の8%、女性の0.5%が何らかの色覚ハンデを抱えている。
比較的少ない日本での割合を見ても、例えば学校のクラスに一人はいる計算になる。
普段、なかなかハンデがある事をカミングアウトしないかも知れないが、私も友人知人に数人のそういった方がおり、割と身近に困るという話を聞く事がある。

ゲーム開発においても、これらの知識は知っておいた方が良いが、これまで18年ほど現場にいるが、少なくとも会社で講習などを受けた事はない。
学ぼうと思ったら例えば以下のような勉強会に参加するなどの方法はある。

ソフトウェア開発におけるカラーユニバーサルデザインの重要性
http://www.inside-games.jp/article/2009/10/29/38472.html

ゲームソフトウェアというのは生活に必要のないものだ。
だからこそ、予備知識なしに触っただけでも内容が理解出来、楽しめるようでなければユーザーの方々に遊んでもらえない。よほどの事がない限り、我慢して使う事はないわけだ。
それでも、数多くの熱心なファンを持つゲームだとこういう事が起こったりもする。

「モダン ウォーフェア2」ユーザーが、色覚異常用パッチを求める署名運動を開始
http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0912/21/news086.html

レーダーに表示されるシンボルの敵味方の区別が付かないというのは、対戦プレイヤーにとっては致命的な問題だ。ほんの少しの配慮で、8%のユーザーが楽しめるようになるわけなので、高いコストではないはずだ。
デザインの問題も絡むが、ソフトウェアの場合、色覚ハンデを持つ方向けに専用の色セットなどを用意する事も出来る。

この問題に関して、専門的な知識を身に付けるのはなかなか難しいかも知れない。
しかし、例えば上記のガイドラインを熟知していないとしても、色覚ハンデを持つ方々の視界をシミュレートするためのアプリケーションなどもリリースされている。

色のシミュレーター
http://asada.tukusi.ne.jp/cvsimulator/j/

このソフトウェアは、専門的な知識を持つ制作者が医学的に正しいシミュレーションを行い、iPhoneで色覚ハンデの方が持つ視界を再現出来るというもの。本当に誰でも簡単に使う事が出来、チェックが可能なので、ユーザーインターフェイスに関わる人間は必ずダウンロードして持っておいて良い。

これらは個人の努力で出来る範囲だが、例えば開発工程の中でQA項目に上記の色彩チェックを含めるなどしておけば、より万全になる。
また、ゲームエンジンなどの開発環境に色のシミュレーターのような機能を持たせておけば、UIデザイナーやアーティストは実装をしながらより簡単にチェックが出来るようになるだろう。

2013年6月21日金曜日

「世界一正確な心理テスト」という占い

しばらく前から表題にある「世界一正確な心理テスト」や「科学者が~」「FBIで~」のような文句をタイトルに掲げた占い系アプリケーションを使う人が増えている。

「占い系」と書いたが、このblogを読みに来るような方の多くがご存じの通り、多くの心理テストというのは特に根拠がない、もしくは個人的な体験を元に作成され、結果の妥当性が示されていないコンテンツに過ぎない。それなりに工夫がされていれば、どのような結果が出てもそれなりに自分に当てはまると思える程度に調整されているかも知れないが。

人間の性格は様々な要素から成り立っており、大ざっぱに一桁の選択肢で分類出来るほど簡単ではないし、曖昧な質問に対する人間の返答というのは直前の体験やその時々の気分によって簡単に変化する。実際にどういう性質を持っているのか判断するのに、臨床心理士などのプロが存在するのは、機械的に簡単に判断できないからという理由に他ならない。

実際に本当に現場で使われているのかどうかは知らないが、例えばドラマや創作物などでよく見る心理テストでは、公園やリンゴの木、家族がくつろぐ場所などを絵で描かせたりする。しかし、実際に描かれたものは心理状態を反映したものではなく、直前に見た場所や情景の正確な描写であるかも知れない。
シチュエーションを示したテストは、簡単にコンテクストに上書きされてしまうので、一問だけでは成立しない。おそらくプロも複数のテストをし、言動や話の内容などから総合的な判断を下しているはずだ。

上記のように、Facebookなどで回って来る心理テストというのは実質的に占いと言える。ではそこに「世界一正確」「心理学者が~」「科学者が~」「FBIが~」とつくのは何故だろう? 有り体に言えば、占いを最もらしく見せるための演出に過ぎない。有り体に言えば嘘である。
本当にたった一問のどうでも良い質問で人間の性格がわかるなら、それは大いに自慢して良い成果だが、論文なり実験結果などが示されている事は皆無。当然、そんな論文は探したとしても見つからない。

とは言え、占いは占いとして楽しめるコンテンツではあると思っているので、そこに強く依存したり、その結果を人に押しつけたりして迷惑をかけなければ、楽しむのは個人の自由だ。
しかし、問題はここからだ。「世界一正確な心理テスト」という名前をつけた占いを作成し、それをFacebookのアプリケーションとしてわざわざ公開している理由はなんだろう?
例えば、製品のキャンペーンなどでそうした「~診断」や「~占い」を作成し、物珍しい、目新しい結果を共有し、結果宣伝になる、というのならば納得できる。

しかし、上記のような心理テスト風占いはそうした企業とは連動していないし、特に何が目的という事も書かれていない。しかし、何の利益もなくああいったものが次々と出て来るわけはない。
ある程度SNSに詳しい人間ならば自明だろうが、ああいったアプリケーションはユーザーを集め、Facebookと連携する事で多くのユーザーのデータを収集していると言われている。

実際、収集されたデータがどう使われるのか、データを取られた場合にどう実害があるのかという点については具体的に何とも言えないが、派手で安っぽい嘘の文言でユーザーの気を引き、個人情報を収集しているような会社や団体のやる事なので、想像に難くはない。

2013年6月17日月曜日

東京おもちゃショー2013レポート

何年前からかは憶えていないが、毎年東京おもちゃショーの見学に行っている。
一般日は非常に混雑するのでお勧めできないが、ビジネスでーは比較的空いているため、エンターテインメント関連の職業に就いている方や研究をされている方には強くお勧めしたい。

私個人としては、東京おもちゃショーは東京ゲームショウよりもずっと面白いと思っている。何故ならゲームの多くは映像で魅力を伝えられるし、体験版などで配信も可能だが、おもちゃは実際に目の前で見てみないとわからない事が多いからだ。
とは言え、これは普段からまめにゲームの情報を集めており、実際開発現場を目にしている人間の感想なので、一般的には同じくらい面白いのかも知れない。

今回見てきたものに関してはキャラクター、ゲーム、ハイテク、ビルド、その他の5つに分けて紹介したい。


2013年6月14日金曜日

東京おもちゃショー2013 おすすめ玩具速報

東京おもちゃショー2013に行ってきました。
長くなりそうなので後日またレポートはしますが、今回特にお勧めと思ったものを速報でお届け。

まずはハピネットのマイクロチャージャー。
8秒の充電で60秒間元気走るわずか2.5cmの超小型レーシングトイ。スピードタイプとロングタイプがあり、それぞれ違う走りが楽しめるとの事。
コースもかなり充実している。チャージャーセットが2千円弱、コースも2千円前後と値段も手頃なので少しずつ拡張していく楽しみがありそう。7月発売との事で、Webを探し下もまったく情報が見つからないのが残念。動画を撮影してくれば良かった。
Amazonではすでに予約を受け付けているようだ(でも単品売りがない!)
すでに購入する気、満々。

もう一つはヨーロッパ発のメタルパーツをビルドする玩具、MECCANO。
こういったビルド系のおもちゃはたくさんあるが、メタルパーツというのは割と珍しい。色合いも渋く、曲線的なデザインのメカも非常に格好いい。
まったく知らなかったのだが、このMECCANOはなんと1901年創業で100年以上の歴史を持つ老舗。MECCANOのWebサイトにはソニック・ザ・ヘッジホッグやタンタンの冒険などのキャラクター系トイも。
何度か日本に入ってはいるものの、その度に撤退しているらしく、今回何度目かの挑戦との事。東急ハンズなどで販売されるそうだが、私としては是非、日本科学未来館のおみやげコーナーに置いて欲しい。

さて、最後は今年に限らずいつもお勧めしているアソブロック

おもちゃショーには様々なブロックが出展されていて、どれも個性的で面白いのだがこのアソブロックは格好良いシルエットで間接を持ったロボットやモンスターなどをデザインするのに向いている。ゲームデザイナーがアーティストにゲームに登場する敵や味方のイメージを伝えるのに非常に良い。
ユーザーによる作例なども展示されていた。
バーと60度、90度単位の固定ジョイント、ボールジョイントを組み合わせて立体を構成していくので子供向けとしては少々難しいが、その分思い通りの立体物が作れる。

最後はおまけ。
タカラトミーの「じゃれ犬」
振動によって犬がちょこまか動く。かわいい。


実際見て来たものは紹介しきれないくらいあるので、詳しいレポートは後日!

2013年6月12日水曜日

人は何故遅刻するか? -遅刻しないために気をつけている2つの事

世の中には遅刻をする人が多い。
私も頻度は高くないが時々遅刻をする。

自分の遅刻の理由を分析してみると、ほとんどが「早く家を出た事に対する油断」に集約される。
私は可能な限り遅刻をしたくないと思っており、予定の時間より10分~15分程度早く到着するよう交通機関の時間を調べ、駅まで行くのにかかる時間と、起きてから家を出るまでの時間をやや多く見積もっておく。そのため、予定より少し早く家を出て、少し早めの電車に乗る事が多い。
しかしこれが要注意で、早い電車に乗ったものの実は特急に追い抜かされてしまったり、乗り換え時に普通電車に乗るところを急行に乗ってしまって目的の駅を過ぎてしまったり、というケースが発生する場合がある。
対策としては

・予定と違う電車に乗る場合、それで予定通り到着するか乗る前に調べる
・電車の行き先と種類を確認する

という事が挙げられるが、遅刻する事そのものが割とレアなので忘れてしまいがちだ。
なお、学校や会社などに関しては習慣づけられているのと、基本的には30分以上前に到着するようにしているため、幼稚園から数えて遅刻ゼロで、電車が遅れた時でさえ始業時間に間に合わなかった事はない。

一般的に人が遅刻するパターンは以下のように分けられると思っている。

  • 遅刻しても良いと思っている
    • そもそも遅刻そのものを気にしない
    • 気にしないわけではないが抵抗が少ない
      • ある程度の遅れまでは経験的に許容されると考えている
      • 周囲が時間通りに来ない傾向にあるので遅刻に抵抗がない
      • スケジュールが詰まっており、遅刻しても仕方がない
  • 基本的に遅刻するつもりはない
    • 行動が遅れてしまう
      • 寝坊してしまう
      • 家を出るのが遅くなってしまう
        • 気がついたら時間を過ぎている
        • 思ったより準備に時間がかかってしまう
      • 目的地までの経路を検索したらすでに出発するべき時間を過ぎている
    • 移動のミス
      • 間違った電車に乗ってしまう
      • 最寄り駅から目的地への移動で迷う
    • 不可抗力
      • 前の予定が押してしまう
      • 交通遅延


「遅刻しても良いと思っている」層の人に対しては、なんともアドバイスのしようがないのだが、「基本的に遅刻するつもりはない」人に対してはある程度出来る事がある。
遅刻したくないのにしてしまうという場合、多くは「準備と見積もりの不足」という点に集約される。

家を出るまでにたいていの場合、

  • 目的地までのルートを調査する
  • 調査結果から出発する時間を決める
  • 持ち物を用意し、身だしなみを整える
というプロセスを踏む。
目的地までのルート調査は前日もしくは十分な時間の余裕を持って行われているはずだ。
当然、これが出来ておらず直前になって調べると、すでに間に合わないというような事が発生する。
ルートを調査した際に乗り換えが発生する場合、その時間が妥当かどうかという事も考えておいた方が良い。例えば、階段からもっとも遠いところに乗ってしまった場合や、乗り換え移動中に方向を間違えてしまった場合、なども想定して余裕を持っておくと安全だ。特に初めて乗り換える駅などに関しては要注意だ。

また、朝起きてから家を出る場合、何時に起きるかという点も重要だ。これはもちろん、寝る時間のコントロールも含む。当然ながら、標準的な睡眠時間が6時間の人間が、朝6時に起きるから12時に寝ようと思うとたいてい失敗する。寝ようと思ってから実際に行動を起こし、布団に入ってから寝付くまでの時間分、余裕がなければならない。
起きてから準備をし、家を出る前の時間を見積もる必要もある。毎日の通勤、通学などに関しては行動が最適化されているので比較的短時間で家を出る事が出来るかも知れないが、いつもと違う場所へ行くときは注意が必要だ。

起きた直後は頭が十分に働いていないので、出来れば家を出るための持ち物一式や着る物などは前日に用意しておいた方が無難だ。身だしなみに関しては、ゆっくりやって作業を終えるのにどの程度かかるかは把握しておくと大急ぎでやるはめにならずに済む。

家から駅までの道のりは、たいていの人は何分程度かかるのかわかるはずだ。しかし、これに関しても自分が把握しているのがどの瞬間からどの瞬間までの時間なのか、という事を意識した方が良い。ドアを出てから駅の改札に入るまでの時間を「駅までの時間」と認識しているというケースがよく見られるが、準備を終えて家を出ようと思ってから駅の改札に入り、ホームへ移動してドアから車両の中に入るまで何分と見積もっておいた方がより確実だ。前者になりがちなのは、時計を見るタイミングが家を出て移動を開始する瞬間や、駅に入って電光掲示板を見る瞬間などになるからだ。

駅での乗り換えなどに関しては、予め調べたものをスマートフォンのカレンダーなどにメモとして入れておくと便利だ。乗り換え案内AppやWebサービスではたいてい検索結果をテキストで出してくれるようになっているのでそれを使う。ホームの番号、行き先、種別、時間は入れておきたい。
ホームの番号があれば駅内での移動に迷う事は少ない。時々、特定の階段からでは行けないホームなども存在するので注意深く案内を見る必要はある。

また、目的地の最寄り駅から出て歩く場合や乗り換えをする時に、どの改札から出るのか、南蛮出口から出るのか調べておくことも必須だ。前述のホームの例もそうだが、駅の中では固有改札名や番号さえ把握しておけば、見当外れの方向へ行ってしまう事はほとんどない。

さて、ここまで読んでみると書いてある事が細かい、思ったよりもやる事が思えるかも知れない。だからこそ、これを明文化してみる必要があった。事前に調査や準備をしていない場合、出かける直前や移動中にこれらの作業をこなさなければならない。それこそ何より面倒な事ではないだろうか。

私の場合は以下のような流れで行動している。

  1. 予定が決まったらGoogleカレンダーに大まかな予定を入れておく(ブッキング防止)
  2. 予定の日が近づいて来たら移動中など空き時間を利用して移動経路や時間などを調査しておく。この時、まず家から目的地までGoogle Mapで検索をし、おおまかな時間を徒歩ルート込みで把握する。私自身はGoogleの経路検索をあまり正確と思っていないのと、ホームの番号の情報が表示されない、テキストデータが出て来ないなどの理由で路線検索には別なサービス(WebではJorudan、iPhoneではNavitimeの経路検索)を使っている。調べた結果はiPhoneのメモ欄に入れておく。
  3. 前日までに必要なものがあればメモ欄に書き加えていく。常に持っているわけではないものや、他にカバンに移動させておかなければならないものも書いておく。名刺、充電器、モバイルバッテリーなど。
  4. 前日になったら寝る前にメモ欄を見て持ち物をチェックし、準備しておく。次の日の天候や気温なども調べてリビングに出しておく。また、駅から出た後のルートなどをGoogle Mapで調べておく。そのままにしておけば当日Google Mapを開いた時もその状態で保持されている。準備を忘れないように、予め前日に予定がポップアップするようにセットしておく。
  5. 起きる時間を設定し、目覚ましをセットする。また、家を出る10分程度前にもアラームが鳴るようにしておく(鳴るまでに準備を済ませておくのが目安) また、自分の標準的な睡眠時間が取れる程度の時間にちゃんと寝ておく事も重要。
ポイントはたった2つだ。

  • 準備を分散する

    空き時間に調査を済ませておく、前日に用意出来るものはしておくなど。
  • 自分の実行動時間に合わせて予定を立てる

    「明日は目覚ましが鳴ったら早く起きよう」「手際よく準備をしてさっさと家を出よう」というように、いつもより効率的に動こうと思うと失敗しがち。いつもどの程度の時間がかかるかどうかを把握し、その分だけ早く行動を開始するように見積もれば慌てる必要はなくなる。

以上のように書いてはみたものの、これが誰もに有効で簡単な方法だとは思っていない。あくまで自分はこうしているという話に過ぎない。
しかし、つい遅刻してしまう、でも遅刻はしたくないと思うのならば、自分がどういった時に遅刻してしまうのかを考え、それをリストアップし、それぞれの対策を考えてみてはどうだろうか。自分の行動を記録し、分析する事で何らかの解決策が見えてくるかも知れない。「わかってはいるけれども実践出来ない」という時は、何故実践出来ないのか、どうすれば実践出来るのかというところまで考えてみれば良い。それでも出来ないと思うのならば、それはそれで仕方がない。考えて実践するコストの方が遅刻して申し訳なく思うコストよりも高い、というだけの話だ。

なお、私自身は遅刻をする友人知人に対しては、標準的にどの程度遅刻をするかある程度把握し、その分だけ待ち合わせ時間などを早めに設定しているし、仕事においては致命的な遅刻をすればその分だけペナルティがあるというだけだと思っている。遅刻をする人に対してこれといって悪い印象があるわけではなく、本エントリはその是非を論じるものではないという事は付け加えておく。

2013年6月10日月曜日

科学を伝えるメディアとは?

SNS上で度々指摘されているが、研究発表した結果というのは度々Web記事などのネタになるものの、正しく内容が伝えられている事は少ない。
例えばこんな具合だ。

これは日本語の記事

記憶のコピーが可能になる!?記憶が保存されたマイクロチップを脳に埋め込むことで記憶を保つ技術を開発中!!2年後には人間に移植へ!!


タイトルだけでも昔から繰り返しSFなどで語られてきた人間の電脳化について、大きな前進があったように読めるし、文中でも様々な可能性について触れられている。
しかし、このソースはこちら

The micro chip that will save your memory: Scientists set to implant device to preserve experiences into BRAINS

こちらを読むと、現状はラットや猿の脳の電気信号の一部をデジタルデバイスによって置き換えるという実験をしているのみで、記憶のコピーというのはあくまで将来的な展望として語られている。裏を返せば、現状のままでは損傷した脳の代わりにデジタルデバイスを埋め込んで機能を代替させる事は出来ても脳の損傷による記憶の回復は出来ないという問題は未解決である、と言える。

脳については、こういった希望的な話が非常に出回り易い。脳科学はコンピューターの演算能力の向上や脳機能を計測する様々な装置の発達によって近年様々な進歩を遂げてはいるが、人々の生活を変えられるほど身近なところには来ていないからかも知れない。

脳神経科学などに限らず、記事としては面白い、興味深いがその道の専門家から見ると現状を正しく伝えていない、著しい誤解を与えると思える記事はいくらでも存在する。私も例えばバーチャルリアリティや拡張現実感(Augmented Reality)、ゲーム関連(とりわけいわゆるゲーミフィケーションについて)の記事を読んだときに違和感を感じる事は非常に多い。

先日も、最先端の研究者が数理について語るという番組の公開収録を見に行ったのだが、番組制作者側が自分たちが考えている理系という枠に話を押し込めようとする意図があまりに強く、ゲストの話に興味を持って来ていた多くの観覧者が殺気立つのすら感じてしまった。

もちろん、科学記事やテレビ番組にも良いものはいくらでもある。しかし、面白くしよう、わかりやすくしようと考えるあまり、取材される側が伝えたい内容とかけはなれてしまうという事は起こりえる。特に研究者、科学者という職業の人間は、創作物の中に登場する多くのキャラクターと違い、断定的な物の言い方はしないし、話の内容が成り立つ前提条件や、不確定な要素に関しても可能な限り正確に語りたがるものだ。
また、自分の専門分野外のものや、語るための情報が足りないものに関しては例え一般論として何かを話す事が出来ても可能な限り沈黙する。
はっきり、短く、わかりやすく伝えたいテレビや雑誌、新聞などのメディアと研究者というのは相反する存在なのかも知れない。

もちろん、私のようにblogを書いたりする人間もいれば、ラジオ番組をやってみたり、TwitterやFacebookなどを通じて情報発信を行っている研究者もいる。
しかし、そうやって分散してしまうと、拾う側の労力も並大抵の事ではない。
また、科学雑誌や科学blogというのは、元々興味があって熱心な読者が読むので、テレビのようになんとなく多くの人が面白そうと思って視聴する、というものにはまったくかなわない。

そんな事を考えてみると、改めてニコニコ学会βの存在が面白いと思えた。
ニコニコ学会βは学会というものの堅苦しいイメージを打破し、ユーザー参加型の研究の場を作り上げるという目的で開催されている学会だ。その名の通り、ニコニコ動画のようなカオスな様相を呈し、その内容はニコニコ生放送などを通じて視聴する事が出来る。
目的などに関してはこちらを読んで欲しいのだが、ここに書かれているようにニコニコ学会βは別に科学コミュニケーションや科学リテラシーの向上を目的として作られているわけではない。しかし、この「楽しそう」という感覚は旧来の学会という枠を越えて遙かに多くの人にリーチし、学問に対して興味を持ってもらえるはずだ。
ニコニコ学会βについてもっとよく知りたい方にはこちらの書籍をおすすめしておく。

進化するアカデミア

進化するアカデミア
人はコンテンツのあるところに集まる、というのは明らかで、誰かがメディアを通じて発信したものに対して、それは正しくない、正確ではないと言い続けても、そこに共感してくれる人の大半はもともと同じ考えを持っているだろう。

私はよく、上記のように曖昧な情報に対して補足をしたり、間違っているのではないかと思える情報を正したりといった事をやっているが、そこに義務感や正義感があるわけではない。単純に自分自身そういった細かい事が気になるし、気になったところを掘り下げていって間違っている、曖昧である、あるいは正しいという事を確認していくという行為そのものを楽しんでいる。

私に限らず、そうした性質を持った(ちょっと変わった)人間が研究者という職業に就くのかも知れないが、もしそれが誰にでも簡単にできたり、もしくは集団で互いに知識や知恵を補完しあって出来るならば、もっと多くの人がそういった事をするようになり、広がっていくかも知れない。

科学を正しく伝える、似非科学やデマを打破するというような活動はWeb上でもオフでも、多様に存在し、多くの人が関わっている。それは日本の科学教育を根本から見直そうというものもあれば、草の根で活動を続けるものもある。と学会などもその一つと言える。

ただし、「面白い」と言っても方向性はいろいろあるので注意しなければならない。間違ったものや誤解されそうなものをあげつらい、笑い者にするいわゆる晒しのような方向も人間は楽しめる。しかし、そうやって攻撃的になってしまうと、互いに不毛な議論を繰り返すばかりになりかねない。
だからこそ軽々しく、そう簡単に「こうすれば良い」という結論が今ここで出せるわけではないのだが、やはり自分でもいろいろと考えてはおきたい。
ニコニコ学会βはそのために、大きなヒントをくれている。

読んだ人間それぞれが、ただコンテンツを楽しむだけでなく、自分も深く調べようと考え、それを楽しめるようなメディアを作る事が出来ればきっと大きな貢献になるはずだ。

2013年6月6日木曜日

「ビーフストロガノフのビーフは牛肉という意味ではない」という風説

Twitterでたまたま「ビーフストロガノフの”ビーフ”は元々ロシア語の”ベフ”で〜風という意味の接頭語だと知り驚いた」という旨の発言を見た。
 なるほど、カタカナで伝わると本来の意味からずれてしまうような事もあるかも知れない、と思いつつソースがどこか確認しようとしたのだが、これといったソースがなかったので、まず日本語のWikipediaでビーフストロガノフを調べてみたところ、確かに「そういう説もある」というような事が書かれていた。

念のため他の言語でも調べてみようと思い、英語のBeef Stroganoffを調べてみたが、そちらにはその情報が載っていない。こうなるとやや眉唾だ。
さらにロシア語のWikipediaでБефстроганов(ベフストロガノフ)を検索。
さすがにこれは読めないので、Google翻訳を使って確認したところ書いてある内容はほぼ英語版と一緒だった。しかし、材料の欄を見たところговядина(牛肉)と書かれている。

строгановはストロガノフなので、Бефはベフと読むのだろうが、ではこれはどういう意味になるのだろう? GoogleでБеф(ベフ)検索すると、圧倒的にБефстроганов(ベフストロガノフ)が出てくる。

次にストロガノフを除外しБеф -строгановで検索したところ、Бёф бургиньонという料理が出てきた。英語で表記するとBeef bourguignon(ビーフ・ブルギニョン)、ブルゴーニュ風牛肉の煮込みだ。
これも材料がговядина(牛肉)と書かれている。またしてもБефは謎だ。

しかし、日本語のWikipediaに書かれているようにБефが本当に〜風を意味する接頭語であるなら、もっとたくさん検索に引っかかるはずだ。しかしWeb上のロシア語辞書を調べてもそれは出て来ない。 

しかし、ヒントもあった。ビーフストロガノフのロシア語の説明にはБефстроганов(Bœuf Stroganoff)と書かれている。括弧内はフランス語だ。 そして、ビーフ・ブルギニョンも同様にBeef bourguignon(Bœuf bourguignon)と書かれている。こちらはブルゴーニュ風と書かれている通り、明らかにフランス料理だ。 フランス語のWikipediaでBœuf Stroganoffをチェックしてみたところ、英語やロシア語よりも記述はあっさりしていたものの、ビーフストロガノフの名前の起源の一つの説としてフランス料理のシェフ、パベル・アレクサンドロヴィッチ・ストロガノフ(Pavel Alexandrovitch Stroganov)という名前が挙がっていた。 

こうやってなかなか調べていくとキリがなさそうなのだが、世の中にはやはり同じような疑問を持つ人がいるもので、その後すぐにこんなblogを見つける事が出来た。
私よりもずっと丁寧に、情熱を持ってエントリを書かれている。

  Stack-Style ビーフストロガノフの蛇行

この内容には非常に納得出来る。あくまで推論の積み重ねなので、100%事実とは断定できない。しかし、ベフ=~風説に対してこういった裏付けは調べてみた限り皆無なので、Беф外来語説の方がだいぶアドバンテージがあると言えるだろう。

この「ビーフストロガノフのビーフは牛肉という意味ではない」という風説だが、2011年にも同じような話が広まった形跡がTwitterにあり、最後はやはり上記のblogの記事で締めくくられていた。これに限らず、Web上には様々なクラスタが形成されているので、同じような話題は浮かんでまた消えていく。
面白かったのは「ビーフストロガノフのビーフは牛肉という意味ではない」という風説に対し「ロシア語の辞書を調べてみたら確かにそういう意味だった」と、内容を裏付けるような発言をしている人まで存在していた事だ。しかし、上記のようにそんな単語は私が調べた限り存在しなかった。

なお、今回(2013年6月)の話の元は電子辞書にそのような記述があった、という発言にあり、それに対してはスクリーンショットも見せてもらった。私もこの話題を辞書で初めて見て知ったなら、疑わなかったかも知れない。無害な問題だから良かったが、これはなかなか恐ろしい話でもある。

こういったトリビアや、センセーショナルな話題は広がりやすい。
前のエントリでは「情報を拡散する前に考えたい3つの事」というような事を書いた。
しかし、今回調べてみて思ったのは、私がこうして情報元を当たったり調べたりするのは、倫理観や義務感などではなく、単純に自分で情報を吟味し、納得するという行為自体が面白いからに他ならないという事だ。

学習、研究というのもまた一種のエンターテインメントなのだ。

2013年6月4日火曜日

情報を拡散する前に考えたい3つの事

SNSを使い慣れた人間には今更、という内容ではあるが、定期的に同じ事をTwitterやFacebookに書いているのでここにまとめておく。
  1. その情報は確実に正しいか?

    情報の真偽を確認するのは手間がかかるし、難易度も高い。しかし、責任を持って情報を発信する人間は必ずどこから得た情報かを書くものだ。不明だとしたら、まずそれを探すべきだ。
    信頼できる友人知人からの情報だとしても、その人たちが勘違いしていたり、騙されていたりという事もある。ソースは示されているが、実はそこにそんな事は書いていないというケースも頻発している。英語その他の外国語サイトがソースだと、誤訳や勘違い、故意の捏造なども起こりやすい。
    ここまで読んでいちいちそんな事はやっていられないと思うかも知れないが同感だ。そういう時には、わざわざ真偽わ追うのをやめる代わりに、むやみとそれをRTしたりシェアしたりしない、という誰でもできる簡単な選択肢があるのでそれは憶えておきたい。

  2. 誰のためにその情報を広めるか?

    情報の価値というのは人それぞれだが、反射的にシェアやRTをする前に何のためにそれをするのか考えた方が良い。インパクトのある情報を他人と共有したいという欲求は本能的なものかも知れないが、広めた結果どうなるか、という事も考えよう。
    例えば誰かが不愉快な目にあった、というTweetがあったとする。友人ならそれに声をかけてあげたいと思うのはごく自然な事だ。
    しかし、それを広める事にどれだけ意味があるだろうか?
    人間は共感する生き物なので、友人が不愉快な気持ちを表明すると、自分も不愉快な気分になる。時に悲しんだり、怒ったりするだろう。それをRTしたりシェアしたりすると、今度はそれを見ている人が同じ気分になる。マイナス感情の再生産である。
    そこにはエネルギー保存の法則が存在しないので、場合によっては際限なく広がっていく。
    さらに不愉快な目に合わせた人間が例えば公務員やマスコミなど叩かれやすい職業の場合、こういった話は広まりやすい。不愉快感情が再生産され、その怒りが行政や企業に向き、特定の企業や有名人が叩かれるという構図はよく見る事だ。しかし、そんな事をしても我々の生活や社会が良くなる事は非常に稀で、感情分のエネルギーが失われていくだけだ。
    さらに言うなら、匿名の人間の主観的な発言を以って特定の個人や組織の非を決めて叩くというのはいかにも一方的な話だ。不愉快な目にあった本人やその周辺の誰かがどうしても相手を許せないのならば、直接相手や組織に抗議をした方が余程有用だ。また、この問題は1とも絡んでくる。

  3. 自分が責任を持ってその情報を再発信しているか?

    シェアやRTをするというのは、自分で一度受け止めた情報を再発信するという行為であるという事は意識しておきたい。
    受け手は、誰が再発信したかというバイアスで情報を受け取る。受けた方から見れば、その情報は発信者のものであると同時に仲介者のものでもあるのだ。人間誰しも勘違いや間違いはあるが、あまりに軽々しく誤情報やどうでも良い事を再発信していると、本人の信用もなくなっていく。
シェアやRTによる情報の共有、再発信は手軽かも知れないが、そこで得られるものが大きくない割に、リスクは発言するのとあまり変わらない。

最初の項でも書いたように、真偽不明な情報を再発信しない、というのは誰にでも出来る非常に簡単な事なので、それだけは憶えておきたい。

2013年6月2日日曜日

学生さんに知って欲しい研究展示の際に気をつけるべき7つの事

私は企業所属の社会人研究者なので、学生さんを指導したりする機会は今のところないのだが、研究室公開や研究発表会などを見に行く機会は多く、そこそこの頻度で学生さんと接している。
そうした研究発表会は、荒削りながら斬新な発表に触れ、未来の研究者足る学生さんたちの熱意を感じる事が出来るため非常に面白い。

反面、学生さんならではという気になる部分もあり、そういったところは研究室や大学、学年などを越えてだいたい共通している。が、「学生だから」という事で、皆細かい不満点などは言わずに終わりがちだ。しかし、少し気をつける、意識するだけで発表会のクオリティは大きく上がるので以下に書いておこうと思う。
  1. 開始時間厳守

    非常にシンプルだが重要な事だ。私は発表会などの際、時間がなくて全部見る事ができなかったという事がないよう、できるだけ開始時刻に行くようにしているのだが、時によっては行ってみても半分くらいのブースに人がいない、準備中であるという光景を見る。
    こういう時、まず稼働しているところに行って説明を聞き、時間を見計らって準備中のブースを覗いてみたするのだが、下手をすると何周もするはめになるし、場合によっては忘れてしまう事もある。
    開始と同時に入場してくるような来場者は、非常に熱心にフィードバックをしてくれる人間が多いのではないかと思う。そうでなければ、休みの日にわざわざ朝から大学の発表に行ったりはしないだろう。また、後ろに予定があって早く来場している場合、最初の接触を逃すと帰ってしまうという場合もある。
    発表の準備は前日までにセットアップを終え、そのままの状態で電源を落として帰るのがベスト。当日朝の準備はあくまで前日の状態で動くという事を確認するためのものだと思った方が良い。

  2. 学生同士のおしゃべりはほどほどに

    発表会の開始直後も含め、人がまばらな時によく見られるのだが、学生同士でおしゃべりをしているのをよく見かける。一言も口をきかないようにするのはなかなか大変だが、発表会というのは来場者のために開かれた空間であるという事を忘れてはならない。学生同士のおしゃべりに熱中している様子を見れば、意識が来場者に向いていないのは明らかで、外から来た人がそれに好感を持つことはないのでそこは注意して欲しい。
    来場者として来ている同級生や学外の友人と喋っている、というケースもあるだろうが、それは来場者にはわからないのでそのあたりも気をつけよう。

  3. 暇な来場者を作らない

    ポスターやデモなどを見ている来場者がいたら声をかけるのは当然だが、誰かの相手をしている間にその様子を眺めてしばらく経っても空かないという光景をよく目にする。自分のポスターを読んでいたり、会話を横から聞いたりする人が出て来たら、その来場者も話の輪に入れてしまうと良い。近くで空きを待っている来場者は明らかに研究に興味があるので逃してしまうともったいない。また、近隣で相手を仕切れないほど人が溢れていたりしたら引き取って自分のところに連れてくるというのも手だ。

  4. 回転率を意識する

    自分の研究を詳しく説明した、出来るだけ理解してもらいたいという気持ちは当然で、それは良い事だと思うが、説明が長くなりすぎていしまうと相手に出来る人数も減ってしまうし、聞いている方も飽きてしまうかも知れない。自分が一度のどの程度の人数の相手が出来るのか、一回の説明にどの程度かかるのか把握しておくと良い。こればかりは練習あるのみだ。前日までに先生や研究室の仲間に見てもらっておこう。説明の際に、ポスターを読んでいた来場者に対してポスター内容をそのままもう一回説明するのは時間の無駄になるし、聞いている方も退屈してしまうので臨機応変な対応が必要だ。
    時間のかかるデモが入っている場合、できるだけデモ要員と説明要員を別に確保しよう。人数がいる場合、説明、デモ、デモ後のヒアリングなどに分けておくと円滑に進む。

  5. 不毛な反論はしない

    これはケース・バイ・ケースではあるのだが、来場者の感想に対して「これはこういう研究なので」「こういう意図があるので」という反論してもあまり意味がない。そう反論したくなる感想が来る時点で研究の意図、意図が伝わっていないという事だ。そういう感想は研究を世間一般の役に立てたり、よりわかりやすい説明を行ったりするために非常に重要なので素直に受け止めておくと良い。もちろん、説明すれば納得してくれる場合もあるが、有益な議論をするにはお互いのリテラシーが必要だ。目の前の一人を説得するより、自分の研究のクオリティを高めてより多くの人に理解してもらう方がずっと良い。

  6. メモを取る

    ごく基本的な事だが、忙しくなってくると忘れがち。自分の記憶力を過信せずに、言われた事はとにかく一言でも書いておいて、後で整理した方が良い。記憶は後から起こった事、より印象的な事に上書きされてしまうし、フィードバックの傾向を分析するうえでも有益だ。
    また、来場者の視点から見ると、自分が言ったことを熱心にメモしてくれると好感が持てるというのもある。

  7. 発表の目的を意識する

    上記1〜6の項目を全て実践するのはなかなか大変だ。長い期間かけて行ってきた研究を徹夜で準備してなんとか終わらせ、当日は朝から晩まで立ちっぱなしで説明をしなければならないのだから。
    しかし、それだけ大変な思いをするのには理由がある。研究発表の場というのは、自分たちの研究を広く世の中の人に知ってもらい、そこからフィードバックを得てさらなる研究のクオリティアップを目指すという目的があるのだ。特に、対面で研究者以外の人間から直接フィードバックを得られる機会というのは非常に少ない。来場者の生の反応からはアンケートなどからは得られない、本人さえも意識していない情報がたくさん得られる。
    そのため、研究発表会で大切なのはそういった反応をどう来場者から引き出すか、というところにある。だからこそ多くの来場者と接する事が必要だ。出来るだけ良い状態で反応を引き出すために、相手の立場に立って考え、接する事が大切なのだ。
1〜6の事は、7を意識して考えれば自然と出てくる内容でもある。なお、私の経験から言うならやはり職業研究者や博士課程の学生さんたちはこのあたりをきちんと意識して対応しているなと感じる事が多い。

なお、これらの事は一般的な接客や企業の展示ではごく当たり前の事だ。守られていない事の方が少ない。
だからこそ、来場者、お客として展示の場を訪れた時にそこに様々な努力や気遣いが存在するという事に気づきにくいのだ。

以上、来場者に対して対応するのは、来場者本人のためでもなければ、学校や先生のためでもない、何より自分自身のためなのだという事をよくわかって欲しい。

それでは、良い研究ライフを!