2013年5月29日水曜日

ウェアラブルコンピューターは相貌失認を救うか?

ブラッド・ピットが失顔症の可能性を告白した事で、再び相貌失認(失顔症)が話題となっている。相貌失認というのは、人の顔を見てもその個体を識別できない症状の事だ。
実際どのような症状か、という事についてはこちら、「しゅうまいの256倍ブログ」の記事『顔が憶えられない「相貌失認」私のエピソード』に詳しい。

人間はただ物を見ているわけではなく、視覚情報を処理して物体を認識している。中でも顔認識は特殊な高次処理であり、それを示す例として顔倒立効果というものが知られている。顔倒立効果とは、人間の顔写真の目と口のパーツを垂直方向に反転させた写真を見せた時に、正立方向では明らかに不気味な顔になっているにも関わらず、倒立方向ではわずかな違和感を感じるに止まるというものだ。サッチャー錯視とも言う。
これは、人間がコミュニケーションを図りながら生きていくうえで、相手の表情や個体の違いが重要であるため、目や口のパーツを認識する処理を過度に学習してしまうからだと言われる。すなわち、倒立画像においても成立方向の目や口を認識し、違和感を感じなくなってしまうのだ。

しかし、相貌失認の症状が見られる方の場合、この効果が現れないと言われる。
例えば「相貌失認患者の全体処理システムに関する研究」では相貌失認の方に関してはむしろ倒立顔の認識が正立顔よりも良好という結果を残している。

相貌失認が深刻なのは、それが脳機能のなんらかの障害から来ているため、賢明に顔を憶えようとしたり、注意を払ったとしても効果がないか、著しく効率が悪いと見られている点にある。

さて、相貌失認の症状あるなしに限らず、人の顔が憶えられないで困っているという方は数多く存在する。例えば私もその一人で、何度か会った事のある方に初めましてと言って名刺を渡してしまったり、話しかけられても誰だかわからずに話を続けてしまったりといった事は日常茶飯事である。定量的に測定した事がないので、自分の顔記憶レベルがどの程度なのかはわからないが、年間を通じて割と大量の人に会うし、講義や講演などを行うと、自分は相手を認識していないが相手からは認識されているといった事が多い割に、それに耐えるだけの記憶力がないからだろうと思っている。

先に挙げたしゅうまいさんのblogでデパートの試着室に入って出ると対応してくれた店員さんの顔がわからなくなる、という話があったが、これも私はよく体験する。
おそらくはそもそも相手の顔を見ていない、注意を払っていないために起こる事だ。試着室に入ってからしまったと思うわけだ。

さらに私は人が相手の場合に限らず非常に忘れっぽく、注意を払わずに無意識に何かをしてしまうという事が非常に多い。広いショッピングセンターの駐輪場でどこに自転車を止めたかわからなくなったり、コインロッカーに荷物を入れたものの、それがどこのコインロッカーだかわからなくなったりして痛い目にあったりする。

で、それをどうしているかという話。私は基本的にいつでもiPhoneを持ち歩き、それを首から下げている。そして自転車を置く時やコインロッカーに荷物を入れる時には必ず周囲の様子も含めて写真を撮るのだ。
意識して何度も繰り返した結果、今はこの作業も自動化され、写真を撮るところまで無意識で行えるようになった。撮った事を憶えていなくてもカメラロールに写真が入っているので、自転車を止めて写真を撮ったという事は確認できるわけだ。

しかしこの方法は店員さんの顔を憶えるには使えない。家の鍵を閉めたかどうか、という事を確認するのにも使えない。また、上記に写真を撮る習慣をつけたとさらっと書いてはいるが、元々私がそういった事を身に付けるのが好きな性分だからストレスを貯めずにできるわけで、万人にお勧め出来るわけではない。

だが例えば、自分が意識していなくても自分の見たものの写真を定期的に撮ってくれたり、動画を撮りためておいてくれたとしたらどうだろう?
例えば家の鍵を閉め忘れたかも知れない、と思った時には家を出る時の動画を確認すれば良い。
これは単にビデオカメラを装着して行動すれば良いという事ではない。長い動画の中身を検索するのはなかなか大変だ。
例えばSONYのTorneはサーチの際に高速でサムネイルを展開し、検索性を上げている。しかもそのスケールを数分単位かは15秒単位で瞬時に切り替える事が出来る。そのため、二時間の番組から必要な場面まで簡単にたどり着けるのだ。
実際撮りためた映像を活用するにはそういったインターフェイスが不可欠である。あとはその映像を参照するためのデバイスも当然必要だ。

それらを満たすのは記録装置、それを高速で検索するためのインターフェイス、そして情報を表示するためのディスプレイを備え、常に携帯する事の出来るウェアラブルコンピューターである。

対応してくれた店員さんの顔を忘れてしまっても、ちょっと前の動画に戻って自分の視界に店員さんの顔を確認する事が出来れば、相手を特定する事も可能だ。
毎日撮りためておこうなどと思っていなければ1Gb/hくらいの動画を一日分保存するくらいは難しくない。

後処理で撮りためた映像の中から出会った人をピックアップして画像保存しておき、現在見ている光景の中にいる人を判別出来ると良い。名刺をもらった際にその画像を解析して個人を紐づけできたりすると非常に便利だ。

もちろん、身につけていてもおかしくないような記録装置やディスプレイがどのように実現されていくのか、という事に関して現状ではなんとも言えない。Googleの提唱するGlassに関しても、あの形で世間に受け入れられるようになっていくのか、それとももっと自然に溶け込むようなものが出て来るのかはまだわからない。

ウェアラブルコンピューターは現在の社会にとって未知の領域である。米国でもGoogle Glassに対する賛否の声があり、早くもGlass禁止のレストランなど出て来ている。日本国内でもそう易々と皆がウェアラブルコンピューターを使うような社会は来ないだろう。

しかし、現在すでにコンピューターはただ便利なものという存在を越えている。前述したように私の生活はiPhoneやその他のデジタルデバイス、サービスによって快適に成り立っている。コンピューターはすでに自己を拡張する欠かせないものであり、私に限らず多くの人間はコンピューターによって記憶力、計算力、検索能力などを大幅に拡張されているわけだ。

今回は例として相貌失認の話を上げているが、例えば視覚や聴覚の障害などに対しても様々な対処が出来るかも知れない。例えば見えにくい色、見分けにくい色を見分けるための「色のめがね」などもウェアラブルデバイスにあると便利な機能の一つだ。

多くの人が常にコンピューターを身に付け、呼吸をするように活用する世界はいずれ間違いなく来るだろう(ここで何年後、と予想する事に関してはあまり意味がない、何故ならこういったものは徐々に浸透していくのではなく何かのきっかけで急に広まる事が多々あるからだ)

それに伴って生じる様々な問題はもちろん解決していかなければならないが、すでにコンピューターによる拡張された世界に生きていると感じる私が想像する以上に、多くの人間がウェアラブルコンピューターによって救われるのではないかとも思う。

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